酒蔵の始まり  越前 田中の郷 朝日町天王は、 祇園天皇宮(現八坂神社)の鎮座するところから 名付けられたという。 我が家の祖先道誓はこの宮司家より分家し 髙橋重兵衛と名乗り神苑前に居を構えた。 そして三代目勘右エ門が家業として酒造りを始めた。 享保元年(一七一六)である。
 そして享保五年、福井市大嶋屋より酒株を譲り受け本格的に醸造家となった。 天皇宮の神苑には清水があり、「湧き水の冷たきこと夏は汗を去り、冬は温かきこと温泉のごとく」、また疫病平癒に効果があると伝えられ、古くから霊水として里に知られている。三代目はこの霊水の流れを承ることを約束し酒造りを始めた。
 飛鳥井の銘柄の由来  その昔この地方を田中の郷といい、和歌と蹴鞠の師範を家業とした飛鳥井氏の十代にわたり領有地であった。その六代権中納言雅縁卿はこの土地で生まれ育った。応永三十四年(一四二七)五十四歳の時、祇園天皇宮参拝記念に、蹴鞠の奉納と宮の背の山腹に一本の桜を手植された。現在も、宮司家に当時の蹴鞠が保管されている。桜花は、薄紅色で墨色を帯びていることから「薄墨桜」といい「飛鳥井桜」とも呼んだ。飛鳥井桜は樹齢四百五十年を越える雄姿となり、毎年爛漫の表現を最高に現した。 神苑近くに居を構えている弊社は最
 丹生酒造の由来   当時の世情からわかりやすい社名ということ、また、弊社の醸造伝統は武生税務署管内で最も古く郡内第一を誇るところから郡名を社名に用いることとし、「丹生酒造株式会社」と決定した。そして、銘柄を飛鳥井一筋に選び精進することとなる。

この古歌は桜を酒に変えてもうかがえる。  世の中に 絶えてお酒の なかりせば 春の心は のどけからまし 古今和歌集 在原業平和歌より一部抜粋 第十二代当主 髙橋 正禧 記  今はなき、飛鳥井桜は、時代とともにその姿を変えて励ましてくれた。  弊社の酒銘に飛鳥井桜の名を用いた我が祖に感謝したい。